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category: 日々の泡

日々の泡/005 - 2002/02/25(Mon) - 2002/03/18(Mon)

LastModified : Tue Jul 6 00:56:01 2004
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2002/02/25(Mon) - 2002/03/18(Mon)

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その0101_ 2002/02/25(Mon) [ヒビノアワ]

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最近、朝目を覚ますと、親指を内側にして、ギュっと赤ちゃんこぶしを作ってる。 前からずっとこんなだったかな?

――ってことがひとつ。

その0102_ 2002/02/25(Mon) [タベモノノアワ]

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ネギを刻んでて思い出した。もう大分前のことだけど。

多分自分で料理などしないだろう 40過ぎの男性に、お昼ごはんに素麺を出した。 あまりに簡素で申し訳ないので、賑やかしに薬味だけは沢山つけた。 普段はしないが水にも晒し、生姜と茗荷と子葱と紫蘇を、よそ行き顔できれいに並べる。

その薬味を見て、彼が無邪気な顔で「すごいなあ」と驚くので、キマリの悪い思いをしながら曖昧に笑っていると、「これは、どうやって作ったの?」と言う。

私はポカンとしながら、ありのまま、「刻んだだけです」と答える。 言った途端、「…もしかして、栽培方法を聞かれたんだろうか」と思い当たったが、彼は再び屈託のない笑顔で、「へえ、そうなんだ」と言って、素麺をすすり始め、「うん、うまい!」と言ったのだった。

もちろんうちのベランダに、家庭菜園などはない。

――ってことがひとつ。

その0103_ 2002/02/27(Wed) [コトバノアワ]

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もう抵抗する気はなくなったが、以前は「あ、メールやってるんですか?」なんて聞かれると、 どうしようもなく違和感があった。 メールはただの通信手段であるので、「やる」という動詞も不適当だが、 その上「やって"いる"」などと継続的な状態まで表現しちゃうのは、一体どういう了見だ? 「ええ、使いますけど、やってはいません」など、ヒニクな物言いの一つもしたくなる。 「電話もやってるので、できればメールじゃなくて電話を下さいね」とか。

でも考えたら「文通」などは「している」と言うわけで、 もちろん細かく言えば「文通」はするが「手紙」はしないぞ、とかあるんだけども、 メンドクサイので「まあいいや」と手打ちにした。 あまり細かいことを言っていると、生きづらくなるだけだし、 そろそろ「メールをやる」のが一々話題に上らないような普及率にもなってきた。

そこに持ってきて今度は、なんの CM だか知らないが「ガールスカウトをやっていた」だ。 元ガールスカウトは、強く言いたい。ガールスカウトは「やる」ものではない。 「ガールスカウトに加入していた」、あるいは「ガールスカウトだった」と言う。 どうしても「やりたい」なら、「ガールスカウト活動」をやって欲しい。

* * *

ところで小学校の時など、よく級友に「ガールスカウトについて」質問を受けた。

A:名誉にかけて、神と国とに対する務めを行い、
常に人々の助けとなる活動をするのです。

ちなみに、幼稚園生だった私は、「駅前の募金活動が楽しそう」という理由で、 小学校に上がるのを待って加入したのだった。そして実際、十分楽しんだのだった。

さてとりあえず、そろそろ名誉にかけて、確定申告の務めを果たしに行かなくては。

――ってことがひとつ。

その0104_ 2002/02/27(Wed) [テレビノアワ]

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「ガンダムなんとか」のCMを見て、まだやってんのか…と思った。最初の「ガンダム」は私が小学生の頃。 同級生には、既に小学生の子供を持つ親になっている人がゴロゴロいるだろうし、 きっと世の中には、親子2代でガンダムファンという家庭もゴロゴロあるんだろう。

私が子供の頃、「親が小学生の頃」というのは「昔話」だった。 「お父さんが子供の頃はな」という父の言葉には、「戦争中はな」という背景が常に含まれていて、 それはもう「私の知ってる世界」の話ではない。 それでいよいよ「物語」感が増したのかもしれない。

今の子供は「お父さんが子供のときからやっているガンダム」をどう感じるんだろう。 つい「サザエさん」的なものを想像してしまうんだが、そういうことでもないんだろうなぁ。

――ってことがひとつ。

その0105_ 2002/02/27(Wed) [シャカイノアワ]

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しばらく前に「湾岸戦争」というのがあった。20歳をちょっとすぎた頃だった。 それまでにだって、地球上のいたるところで戦争はあったのだけど、 この時はそんなことを知らなくて、驚きをもってニュースを聞いた。

私が生まれたのは、第二次世界大戦が終わって、20年とちょっとした頃だった。 私はそれを「遠い昔の物語」だと思っていた。

20歳とちょっとに起こった、この戦争の中継映像を見ながら、 私は「20年とちょっと」が、どんなに短い歳月なのかを知って、驚いていた。

――ってことがひとつ。

その0106_ 2002/02/27(Wed) [シャカイノアワ]

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本当は解っていた。「この戦争だけに心を痛めるなんて、ばかげてる」。

「湾岸戦争」以後、「戦争」と、「第二次世界大戦」に関する本を30数冊ほど読んだ。 中に、「第二次世界大戦後、戦争や紛争のあった地域」を色分けした世界地図が載っている本があった。 とりどりに塗りつぶされている地図上で、日本が白く残っているのを、私は見た。

――ってことがひとつ。

その0107_ 2002/02/27(Wed) [シャカイノアワ]

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「湾岸戦争」が始まる前から、私はアメリカというところに5泊くらいの旅行に行くことが決まっていた。 戦争が始まって、母が「行くの?」と電話をかけてきた。「そりゃ行くよ」と即答する。

行きの飛行機の中で、前の席に座っていた40歳前後の男の人が声をかけてきた。
「何しに行くの?」
「旅行です」
「いま、何が起きてるか、知ってる?」
「一応は知ってます」
「僕は取材に行くんだけどね」
「へー、そうなんですかぁ」

「取材に行く人」は「のーてんきな女の子二人連れ」に、 「何が起きているか」をノートに図示しながら説明し始めた。
「…ということだから、まあ、危険はないんだけどね」
「ええ、そう思うので行くんです」

私は、「戦争をしている国」が見たかった。 「戦争をしてるのに、日常が行われているところ」が見たかった。 旅行中、一度だけ、戦争らしいことがあった。 バスでどこかの建物の前を通りかかったとき、ガイドの人が 「ここは今、みんな出払ってて留守になってます」と言った。 何か、軍の施設だった。ユニバーサルスタジオは、非日常的で、とても楽しかった。

――ってことがひとつ。

その0108_ 2002/02/27(Wed) [シャカイノアワ]

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同級生が、「うちは両親とも、戦後生まれだよ」と言った。 私は、「お父さんお母さん」というものは自動的に「戦争体験者」だと思っていたらしく、 彼女の発言にひどく意表を突かれた。 同時に、彼女と私も世代が違ってるような気になった。

でもそれは全くの早とちりで、彼女は同居していた祖父母に、 例の「戦争中はな」を聞かされたそうで、実は女のほうが世代は上なのだった。

――ってことがひとつ。

その0109_ 2002/02/28(Thu) [ヒビノアワ]

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歩いて20分弱のところに買い物に出ていて、「さあ帰ろう」と思ったところで、突然思い出した。 「…今日って、お芝居に行く約束してたっけ…!?」

7割五分、明日だとは思うが、確証は全くない。
待ち合わせの時間は、6時くらいだったと思うが、正確には覚えてない。
時計を持ち歩かないし、今日は曇りで太陽が出てない。今の時刻がわからない。
4時は過ぎてないようには思うが、この出不精は慌しく出かけるのが好きじゃない。
気は急くが、走る気持はまるでない。
同じ相手とのお芝居の約束を、見事にすっぽかした前科だけが、ある。

漸う家に帰り着き、玄関を開けた途端、電話の呼び出し音が聞こえてきた。 「…彼女だ!」と直感する。玄関から電話までの、遠い遠い数秒。

果たして、電話は彼女だった。約束は、やはり翌日の予定だった。 予定だったが、主演の俳優が病気で今日入院、公演は、代役を立てて5日に延期。 彼女の説明などそっちのけで、私は、私にとっての最重要事項、 「とにかく、今日じゃない!!」という安堵を噛みしめていたのだった。

――ってことがひとつ。

その0110_ 2002/03/01(Fri) [ヒビノアワ][オモイデノアワ]

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母の証言によると、我が家には父の命により「模様替え禁止令」が布かれていたという。 曰く、「煩瑣な模様替えは、子供たちを情緒不安定にするから」。

言われてみれば、確かに家具の配置一つ、ほとんど変わらない家であった (私の方では、小学校3年生の時に自室を与えられて以来、 数ヶ月ごとに手持ちの家具を色々と配置し直しては、一人悦に入っていたのだが)。 家具の配置に代表されるように、何につけ私の家は、十年一日のごとく「変化」のとても少ない家であった。

それを聞いて、「だから私は、環境の変化に弱いんだわ」と責任転嫁を目論んだが、 よくよく考えると、それは事実無根で、どこが無根かと言うと、「私は環境の変化に弱い」という部分なのだった。 「変化したらどうしよう」という自分の予想にこそ、ものすごいストレスを感じはするが、 実際に変わってしまうと、「まあ、こんなもんだろう」と案外受け入れてしまうのだった。

――ってことがひとつ。

その0111_ 2002/03/01(Fri) [オモイデノアワ]

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父は教師である。母方の親戚には教師が多い。 まだ幼稚園にも入る前の3・4歳頃、よく一緒に遊んでいた近所の子のお父さんも、高校教師だった。

以上のことから導き出される結論。「世の中のお父さん(働く大人)は、みんな先生である」。

「隣の家のお父さんはタクシーの運転手」と知った時、 「変わったお父さんだね」という感想を漏らし、3・4歳の私は何故だか顰蹙を買ったのだった。

――ってことがひとつ。

その0112_ 2002/03/01(Fri) [コトバノアワ][オモイデノアワ]

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私のお気に入りは「魔法のマコちゃん」だった。

あるときそのアニメの中に、「"ささくれ" があるのは親不孝の徴」というセリフが出てきた。 私は兄の指に "ささくれ" があったのを思い出し、覚えたてのひらがなを使ってみたくて、 広告紙の裏に「おにいちゃんはおやふこう」と書いてみた。

うん、書けた書けた、と悦に入っていたら、後でその紙を見つけた母に 「あんたはこんなこと書くからっ、お兄ちゃんにいじめられるんでしょっ」と、問答無用に叱られた。 私は "ささくれ" が何かは知っていたけど "おやふこう" が何かは、知らなかったのだ。

――ってことがひとつ。

その0113_ 2002/03/02(Sat) [オモイデノアワ][ノウミソノアワ]

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何年か前、鏡を見ていて突然、鼻の頭右寄りに、目障りなホクロがあるのに気が付いた。 「…こんなところにホクロがあったかな?」 結構目立つホクロである。 新しく出来たと思うと何だか悔しいので、前からあったことにして、納得した。

自分の中ですっかり鼻のホクロが定着した頃、数年ぶりに小学校からの旧友に会った。 彼女がふい顔を寄せて、私の顔をじーっと凝視する。 たじろぎながら「…何?」と聞くと、「鼻の上にホクロがある…」と答える。 「…前からあったんじゃないの?」と言うと、彼女は一分の迷いもないキッパリとした口調で、 「ううん。前はなかった」と断言した。 …あ、そうなの? 幸い、私の中でホクロはすっかり定着してしまっていたので、 新しく出来たと知っても、もう悔しくはなかった。

*

そういえば、以前ちょっとした必要があって、「中学校の家庭科調理室のガスレンジ部分について」 彼女に電話で問い合わせたことがあった。 「そんなの覚えてないよ」と言われることを予想していたが、 彼女はその時も、レンジの配置からガス管の配線まで、細かに解説してくれたのだった。

*

それにしても、人間、「あったもの」というのは、それなりに覚えているものだが、 「なかった」ことを覚えているというのは、スゴイ注意力と記憶力である。 二十数年の付き合いで、私は彼女の才能に初めて気が付いた。

大体、「目立つ」とは言ったが、自分の顔だから気になるだけで、 もし他人の顔の同じ位置に同じ大きさのホクロがあっても、私は気付きさえしないだろう。 そんな程度のホクロである。

――ってことがひとつ。

その0114_ 2002/03/02(Sat) [オモイデノアワ][ノウミソノアワ]

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そんな記憶力のいい彼女であるが、一つの齟齬が発覚した。

小学校1年生の時、彼女は我が家の台所で、大きなビンに入った、「ゆで卵の醤油漬け」を目撃した言って譲らない。 「とても美味しそうだったのでよく覚えている」と言う。うん、確かにそれは美味しそうだ。

ところが私は、それが台所にあったかどうかは全く覚えてないが、 とにかく、「そんな美味しそうなもの」が食卓に上った記憶がない。

「もし食べてたら私だって、絶対覚えてると思うけどなあ。らっきょ漬けとかじゃないの?」。 当時我が家でらっきょ漬けを作ってたかどうかは知らないが、そんなもんだったら、覚えてなくても納得がいく。 しかし彼女は、「いや、あれはゆで卵だった」と譲らない。私の家だったことも譲らない。 持ち前の記憶力で、当時の我が家の台所の様子を再現し、どこに置かれていたかを明言する。 う〜ん、確かにそれはウチの台所のようだ。

かくなる上は、母に証言を頼むしかないのだが、聞く前から、答えは見えている。 「そんなことは知らない」という、全く信用のならない即答が返ってくるに決まっている。 知らないのではなく、思い出したり考えたりすることがとても苦手な人なのだ。 条件反射で「知らない」と答えた後は、それが彼女の中で "事実" として定着してしまう。 母は毎夏作っていた料理を突然「知らない」と言い出し、 自宅の電話機本体と受話器がコードで繋がっているかどうかを、「判らない」と言う人である。

あの、「知らない」という力の抜ける断言を聞きたくないばかりに、真相究明は断念せざるを得ないのだった。

――ってことがひとつ。

その0115_ 2002/03/02(Sat) [オモイデノアワ][ノウミソノアワ]

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お正月に「千と千尋の神隠し」を観た。 個人的にはやはりダントツで「トトロ」に一票を投じてしまうが、それはよい。 私は、湯婆の部屋に転がっている3つの首を、小さい時に夢で見ているのだ!!

小学校1・2年の頃に、何度か繰り返し見た夢である。 友達の家から帰る途中、お寺の境内を突っ切ることにする。 境内には、怖いんだけどどこかユーモラスな、大きな生首がゴロゴロと幾つか転がっている。 湯婆の部屋の生首だ!!
私は下を向いて、なんとか境内を通り抜ける。 すると向こう側の土手に父親が笑って待っていて、私はほっとして駆け寄っていく。微笑ましい夢である。

ところで、友達の家とお寺と私の家、土手などの位置関係は実際の街並み通りであり、 友達というのが、記憶力のいい彼女なのである。

――ってことがひとつ。

その0116_ 2002/03/02(Sat) [オモイデノアワ]

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ところで、昔語りが多いように、私は子供の頃の記憶が割と沢山あるらしい。 だいたい4歳ぐらいから覚えていると思っていたら、 アルバムによると、私の一番古いと思われる記憶は、2歳後半のものだった。 驚いた。

知人には、小学校くらいの記憶もほとんどないという人がいて、 もっと驚いた(多分、遁走性の記憶障害ではないと思うんだけど…)。

――ってことがひとつ。

その0117_ 2002/03/02(Sat) [オモイデノアワ]

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埼玉県北葛飾郡松伏町というところでは、1960日間、交通死亡事故がなかったそうだ。 5年以上続く記録が、今日ストップされた、とニュースが言った。

私の通っていた小学校には、「無事故1000日」という運動があった。 この記録を、私が300と数十日でストップさせたと聞いたとき、私は何とも思わなかった。

しかしその後、毎回たった100日台で「記録がストップした」と朝礼で発表される度、 「…もしかして、私がストップさせた300日台ってのは、大記録だったのか…?」と、 肩身の狭い思いをするようになった。 私が事故に遭ったのは朝の通学途中、小学校のまん前、校庭まであと 2m のところだった。 その日、私が欠席した朝礼で、私の事故の報告に大ブーイングが起きる様子を想像してみたりした。 事故に遭った子が「幸い怪我はなかった」と聞けば、「だったら見逃せよ」とも思った。 私はあの小学校で、「無事故運動に最も関心を寄せている児童」だったかもしれない。

何回か100日台で記録がストップした後、目標は「無事故365日」に変更された。 私のストップさせた記録は、365日を越えていたのかいなかったのか。

――ってことがひとつ。

その0118_ 2002/03/09(Sat) [オモイデノアワ]

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足を轢かれて学校を1週間ほど欠席している間、友達が漫画の単行本を2・3冊持ってお見舞いにきてくれた。 私は漫画本を全く読まない子供だったのだが、母が当時本屋に勤めていたこともあって、 怪我にかこつけ「もっと読みたい」と甘えたことを言ってみた。

翌日母は1冊の漫画本を買ってきてくれたのだが、友達がくれた煌びやかな少女漫画に較べ、 なにやら地味な絵柄のものだった。 「…なんか、違う…」 私はパラパラとめくっただけで、交換してくるよう母に命じた。 「友達がくれたようなヤツ」という注文をつけて手に入れた、次の本はそれなりに気に入ったのだろうが、 何だったのかは覚えていない。

そして漫画をよく読むようになった中学生の頃、突然、 「あの時、パラパラとめくっただけの漫画」を思い出して、それが何だったのか、とても気になりだした。 「地味」と思った絵は、なんとなく手塚調だったような気もする。 さらに曖昧な記憶によると、広間のような場所。俯瞰図。 ドレスを着た女の子が、

「お姉さんの…足がない…!!」

と叫んでいた。…ような気がする。

とにかく、そんな様な、何やらシュールな場面が目に入って、「ヘンな漫画」と思ったからこそ、 私は交換命令を出したのだ。

うぁぁぁぁ。このシュールの正体が知りたいんだよぉぉぉぉぉぉぉ。

この永遠に解けないだろう謎は、我がままっ子に科された罰なのだろう。

――ってことがひとつ。

その0119_ 2002/03/11(Mon) [ヒビノアワ][イキモノノアワ]

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数年前に、テレビで「ラジオ体操は反動で体をぶん回すような動きが多いので、お年寄りが急に始めるとスジを痛めます」と言っているのを聞いて、「ふーん」と思った。 小学校の頃は、「ラジオ体操なんぞ、どこが "体操" なんだ?」と思ったものである。 しかしその時、ほんのイタズラ心で「ラジオ体操第一」のサワリをやってみて、 私は自分が「お年寄り」であることを見事証明したのだった。

「いたたたた…」。

そして今、テレビでラジオ体操を「見るだけ」でも、 充分体の隅々まで酸素が行き渡るような心地がするのだった。

(ところで、番組のタイトルは「テレビ体操」だが、体操の名称は、あくまで「ラジオ体操」なのだね)

――ってことがひとつ。

その0120_ 2002/03/11(Mon) [オモイデノアワ]

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高校の横手には、山というか、小高い丘があった。 実は城跡であり、天辺はちょっとした公園になっていて、 そこから高校のすぐ近くに降りる、緩やかな傾斜が長く続く石段があった。

一段は、大きな歩幅で3歩ほど、 とんとんとん とんとんとん とんとんとん と、 私たちはリズムに乗って、笑いさんざめきながら石段を降りたものだ。

そして、リズムに乗って調子に乗りすぎ、私たちは、しばしば大変な目に遭うのだった。 加速度がつき始めると、止まらなくなるのである。 緩やかな石段は、物理法則に従った冷徹なコンベヤーへと変貌し、ものすごい勢いで私たちを前へ前へと送り出す。 最早、止めるには余りに筋肉は非力であり、全力で物理法則に従うしか道はない。
私たちは、ひたすらに前ヘつんのめっていく体を、必死に足で追いかける――――!!

とんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとん
とんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとん
とんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとん

ひぃぃぃぃぃぃ! 誰か止めてぇぇぇぇぇぇぇ!!」 悲痛な叫びが杜に吸い込まれる。 石段を降り切ってなお、数十メートルも駆け抜けると、私たちは漸う、出来心で履いてしまった赤い靴を脱ぐことを許される。ぜえぜえ。

恐ろしい…。今あの石段を降りるのは、真の意味で 心臓破り と思うのだ。

――ってことがひとつ。

その0121_ 2002/03/18(Mon) [デキゴトノアワ]

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今までで一番(ちょっとウソ)怖かった話。

今より5歳くらい若い頃、友人と靴を買いに行った。 一足の、芥子色のスニーカーが気に入ったが、私はチビのクセに足は人並みかそれ以上なので、 履くとアヒルのように見えてしまう。 ちょっと迷っていたら、何か視線を感じる。 振り返ると、少し離れた棚の向こうに、店員がすーっと、隠れるのが見えた。

そんなことを3・4回繰り返してちょっとキモチ悪くなり、自意識過剰かと思いながらも、友人を促して店を出た。 店を出たところで店員の話をすると、彼女も「あんたの方を見てた」と証言する。

1・2時間、近辺の店をウロウロと回ったが、同じスニーカーは見つからず、 他に欲しいものも見つからず、芥子色を買いに戻ることにした。 視線だってやっぱり勘違いかもしれない。

広い間口の店内を通りからざっと窺ってみると、幸いさっきの店員はいないようだ。 ほっとして靴を手に取り、レジへ向かおうと、靴の棚の角を曲がった瞬間、 ふいに正面に立ちはだかった人がいる。

驚いて顔を上げると、彼は屈むように私の耳元に顔を寄せて、

「おかえり」

と言ってすれ違っていった。件の店員であった。…ひ…ひぃぃ…

サスペンス映画ではないので、続きの話はない。

――ってことがひとつ。

その0122_ 2002/03/18(Mon) [テレビノアワ]

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壊れっ放しだったテレビ、熟練のワザで叩いても治らなくなって、とうとう修理。

直ったテレビで適当にチャンネルを切り替えてたら、例の「渡る世間」のオープニングテーマ曲が流れてきた。 「まずい、再放送だ!」 慌ててチャンネルを変える。

本放送では観る気になんかならないが、再放送で毎日となると、うっかりハマる。 何年も前、一度観てすっぽりとハマり、ハマってる真っ最中にバイトを始めることになり、 夕方テレビを観られないとなると、ビデオ録画してまで観てしまったのだ。 昼間の30分ドラマとセットで、帰宅後の楽しみ。しみじみ、平和な日々であった。

――ってことがひとつ。

その0123_ 2002/03/18(Mon) [テレビノアワ]

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「毎日」というのは、ハマる大きな要因だ。

もう10年位前かもしれないが、夏休みの季節、 朝の10時台に「エースをねらえ!」の再放送を、毎日2話ずつやっていたことがある。 「新」とか「2」とか3シリーズくらい全部。

その間の私は、「エースをねらえ」を観るために日々暮らしていたと言っていい。 11時に放送が終わると、その日の残りはもう、「オマケ」だ。

やがて本当の「終わり」がやってきて、明日からの生きる糧をどこに求めたものかと、 途方に暮れて立ち尽くしたのだった。いや、ほんとに。

――ってことがひとつ。

その0124_ 2002/03/18(Mon) [テレビノアワ]

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ここ7・8年、夜の 9時10時台の連続ドラマを、一切観ない。 面白くなければ、観ない。面白ければ面白いほど、観たくない。 あらかじめ、僅か3ヶ月後の「終わり」の悲しみを予感しながら観るのが、切ない。

その点、「スタートレック」はいいぞ。 ふと気が付くと、必ずやってる。 今やってなくても、必ず始まる。 そして「いつでも観られる」安心感で、あんまり観ない。

――ってことがひとつ。

その0125_ 2002/03/18(Mon) [テレビノアワ]

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かつて、最高にはまったドラマ。 「7人の弁護士」という、何だか恥ずかしい邦題の弁護士ドラマ (原題は、日本人の耳には意味不明の音に聞こえてしまう、「L.A. Law(えるえいろう)」)。

深夜の3時4時台に放送されていたので、大抵ビデオに撮って観ていたが、 野球の延長があって番組が飛んでいようものなら、翌日ガックリと肩を落としたものだ (後ろにズレると、早朝の番組開始時間にかぶってしまうので、中止になる)。

確か一部スタッフが同じである「ER」なんかと、全話ぶっ通しでビデオマラソンというのが、 「いつか」のために取ってある楽しみ。

「向こうのドラマって、ホントよく出来てて面白いよね」というのは、不公平なので言わない。 フルイにかけられて日本に来たものしか観ていないから。

――ってことがひとつ。

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